第6課  救いの道

 

 

 

 

    

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

・救いの道

 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6

 これはイエス・キリストの言葉です。色々な宗教や哲学には、救いや悟りに至るための道、真理、永遠の生命などが語られます。しかし、聖書では、イエスだけが救いに至る唯一の道であると啓示します。聖書全巻は、この一本の道を示すために、何千にも渡って書きつがれてきたのです。その間、ユダヤ人も諸民族も、様々な救済手段を考え出しましたが、すべては人間による努力にすぎませんでした。人間はいかに努力しても永遠の神には到達できないのです。 そこで神は、ご自分から地上の人間に対してひとり子の神キリストを遣わし、彼によって救いの道を開かれたのです。

 

・十字架の贖い

 キリストは神の子でしたが、地上における最後を十字架の死という形で終えました。彼の生涯の一切は、罪の贖いの代価としての生涯でした。神の子として永遠の尊さを持ち、しかも十字架の死にいたる苦しみにおいて罪人の身代わりとして極限の苦しみに耐えたのです。彼の生涯は罪の代価として無限の価値があるのです。

 キリストは、すべての人々に罵られ、弟子たちには捨てられました。そして、十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。意味は「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」です。どうして、キリストは、このように悲痛な叫び発したのでしょうか。それは、神にも捨てられた苦しみだったからです。すべて私たちの罪の身代わりとしての苦しみであり、私たちの救いの道を開くために死に至るまで従順だったのです。この極限の苦しみゆえに、私たち人間の贖いの代価として神に受け入れられたのです。

 

・復活

 キリストは3日後に復活します。このことについては前課でも触れました。どうしてキリストは復活されたのでしょうか。第1に、彼が贖いの業を全うしたことの証拠としてです。父の神は、贖いの代価を尊いとして受け入れ、その証拠としてキリストを復活させたのです。第2は、まず復活という形でキリストに新しい生命を与え、次にキリストに属する者たちにも、新しい生命を与えるためです。新しい生命は、「永遠の生命」とも表現されます。地上の生涯においても守られ、肉体が滅びたとしても、天において復活するところの生命です。第3は、キリストをまず肉体によって復活させ、次に天国でキリストに属する者たちをも復活させるという印のためです。

 キリストの復活によって、すべてが新しくされ、神に喜ばれる人が起こされるようになり、新しい世界が実現したのです。

 

・信仰によって救われる

 聖書は神の子キリストを提供して、さらに救いの業をはっきりと私たち人間に示しています。二千年前のユダヤ人に対してだけではなく、すべての時代のすべての人に対して示されている救いの道です。しかし、神の救いは、自動的に私たちのものとなるのではありません。私たちの側でもそれを信じて、受け入れるという意志を明瞭に持つ必要があるのです。

  それは人間の努力ではありません。ただ神から差しだされているプレゼントを受け取るために、私たちの側でも手を差しだして受け取るということなのです。神は私たちが罪のために無力になっているので、このような恵みの手段をとられたのです。それでもって、私たちもまた高ぶることなく、救いにとどまることができます。そもそも罪の本質は「神のようになろう」という傲慢でした。神からの救いが私たちの努力を排除し、「神の恵みのみ」で与えられたのは、私たちの傲慢の罪を避けるためでもありました。

 

・信仰告白は心での契約サイン

 また信じて救われるということは、契約のサインにたとえると分かりやすいと思います。私たちは日常生活で、色々な形で契約のサインをします。保険の契約、家土地車などの売買契約なのです。 

  私たちの救いの代金は、神が備えてくださっています。必要なのは、ただ私たちのサインなのです。神と人との間のサインは、心の刻むサインであって、それが信仰ということなのです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」とのみことばがありますが、神御自身が、心で信じることをサインとして受け入れてくださるという明言しているのです。

 

・救いの図の説明

 右の図は、キリストを通しての救いを示したものです。神が天から主キリストを遣わしてくださったので、救いが実現したのです。それは私たちの努力ではなく、神の恵みです。このことは、信仰者としての毎日を歩む場合にも覚えておくべきポイントです。

 

                          

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聖書箇所

→ヨハネ福音書14:5~6

「5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 

 

 

 

 

 

→ヨハネ福音書19:28~30

「28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。29 そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

→マタイ28:1~9

「1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。

 

 

 

→ローマ3:23~25、27

「23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。・・・27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。」

 

 

→ローマ10:9~10

[9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

 

→絵:神の救いの道

   

 

 

*聖書入門講座第1部を、最後まで頑張ってくださってありがとうございます。

 

聖書を希望される場合は、贈呈いたしますので、下記のEメールアドレスにその旨を明記し、住所、氏名をご記入の上、ご連絡ください。

 pmaeno@yahoo.co.jp

桶川福音自由教会牧師 前野勇

 

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