第3課 人間その1 神の似姿
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・神の似姿 私たち人間は、自分で自分が「どこから来、どこにおり、どこに行くか」をのことを知りません。人間についての確固とした知恵は、創造者である神の言葉によって、明らかにされます。 聖書では「人間は神の似姿に創造された」と啓示されています。それは心と人格を持ち、善と正義、愛と聖さといった性質を喜ぶ存在という意味です。また神と同じように、言葉でイメージして、創作することもできます。このような性質は、他の動物と比較した場合、際だっているのは明かです。また被造物を認識して支配する能力を持ちます。
・神との交わりの中で、生きる存在 さらに聖書では、人間は神の息を吹き込まれて「生きたもの」となったと記しています。つまり人間は神の生命を受けて生きたものとされていると言うことです。人間は神との交わりの中でよく生きることが出来る存在なのです。 このように、神は人間を御自身の似姿に創造されたのは、人間を子どものように愛し、深い交わりをなすためでした。人間も、神との交わりの中で、よく生きることが出来るのです。この神と人間の関係を基本として、人間相互も愛の交わりを築くことで、幸せな日々を獲得できるのです。 もし、人間が神から離れたなら、それは自分の生命線を立つのと同じことです。この断絶から、様々な悲惨が生じてきます。現代の様々な問題は、このところに起因すると考えることができます。
・土の器 しかし人間には、神と異なる性質があります。塵(ちり)から造られたということです。「塵」とはヘブル語で「アダム」と言います。人間の名がアダムとされたのは、この事実を明記させるためです。もしこの事実を忘れて、人間が自分を神と同じ存在であるかのように錯覚して、勝手に振る舞うなら自らに破滅をもたらすことになります。彼は神の似姿に創造されましたが、似ているのであって、神ではありません。 聖書では、人間を「土の器」と表現します。器の形は神に似ているとしても、本質は「土」であり「塵」なのです。もし神との交わりを保って、器の中に、神の生命を保つときは生命は保たれます。反対に、神から離れたとき、むなしく滅びていくだけの存在となるのです。
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