第11課 御言葉の糧と祈りの呼吸
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・新しい生命の源泉 キリストを信じた者は、神から新しい生命をいただいています。それは天国の生命であると言えます。また聖書によると、新しい生命は、聖霊を通して与えられたキリストの心であり、永遠の生命であるとしるされています。従って、私たちは、この生命を保つことで、地上の生涯においても、神の子としての自由と喜びを享受し、愛/平安/寛容/親切といった良い心と態度でもって生活することが可能となります。 私たちに新しい生命を与えてくださる方は神御自身ですが、神は、その生命を、常に生き生きとした状態に保つ手段を示しておられます。それは御言葉の糧と祈りの呼吸です。
・御言葉の糧 聖書において、イエス・キリスト御自身について「ことば」という風にして紹介していますが、さらに「この方にいのちがあった」と続きます。イエスの生命は、聖書の言葉を通して私たちに与えられることを示します。また1ペテロ2:2には「みことばの乳を慕い求めなさい」とあります。聖書の言葉は、新しい生命を養い育てる乳なのです。 私たちは聖書の言葉を得るのは、まず礼拝です。礼拝という公けの場で共に聖書を聞くことが大切です。そこでは牧師を通しての正しい解釈による御言葉の学びができますし、共に学ぶということで力強く御言葉が心に刻まれます。 次に毎日の生活の中で、聖書を学ぶことが大切です。たとえば、毎日、1章ずつ読んでいくのです。たとえば、初めに創世記を読み終わると次に福音書を読むという風に、自分で計画的に読むことが大切です。聖書の読み方について、牧師に訪ねてください。 また御言葉は学ぶだけではなく、暗唱して心に刻みつけることが大切です。御言葉の基本的な内容は、神は愛であるということです。神は目に見えませんが、御言葉をとおして、切なる愛を告白し、また私たちにとって益となる人生を導こうとしておられます。もし私たちが御言葉をしっかりと心に刻むなら、恐れや不安に揺り動かされることなく、しっかりとした足取りで人生を歩むことができるのです。
・祈りの呼吸 御言葉と共に、祈りもまた、信仰生活の大切な要素です。祈りは霊の呼吸であるといわれます。神は人間を創造されたときに、鼻から息を吹きかけて、人は生きた者となりました。丁度そのように、私たちは祈りという手段を通して神との交流を獲得できるのです。 聖書には、代々の神の子どもたちが、神に祈ったことがつづられています。創世記4章には「人々は主の御名によって祈ることを始めた」としるされています。アブラハムも、祭壇を築いて主の御名によって祈っています。モーセもダビデも、すべての預言者たちも、祈りが彼らの生活の支えとなり力となっていました。 主イエス御自身、地上における生活は、父の神に対する祈りによって、彩られています。朝まだ暗いうちに起きて祈る様子が記されています。十字架に付けられる前のゲッセマネの祈りも有名です。祈りを通して、毎日の力と導きを受けていたのです。 聖書には、キリストを信じた者たちは「アバ、父よ。」と呼ぶ霊を受けていると記しています。それは父なる神に愛されていて、親しみを持って呼ぶ子どもの霊です。「アバ」とは当時の言葉で「お父さん」という意味です。庶民の言葉で親しみを感じる呼び方です。私たちは、キリストを信じることで、素直に神に対して祈ることができます。祈りの中で、私たちは一切の思い煩いを伝え、願いを述べるのです。また家族や友のためにも祈ることができます。私たちは祈りを通して、神と共に働くことができます。私たちは祈りを通して神を近くに覚え、神の愛の約束を獲得するのです。
・静まること(静思の時) 私たちの信仰生活の基本として、神の前に静まるということを実践することは、私たちにとって益あることです。私たちの毎日は、忙しく、また神の臨在も助けも無視してしまいがちです。御言葉を学ぶ、祈るという行為の前提は、静まるということです。とにかく、目をつぶって静かにするのです。心では神を慕うのです。その時に、私たちの心には色々な生活の煩いや不安が顕わになるのです。その事どもを神に訴えたらいいのです。また同時に、御言葉を思い起こして、神の愛と助けを確認するのです。 私たちはこのような時を「静思の時」あるいは「デボーション」と呼んでいます。御言葉を読むことも祈ることも、この時間になすのです。「静思の時」を持つか持たないかによって、信仰者としての成長と祝福に格段の違いがでます。どうぞ、あなたも「静思の時」にチャレンジしてください。
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