第10課 教会と礼拝
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・教会 教会とはギリシャ語でエクレシアといいます。それは「神が呼び集めた者たちの集まり」という意味です。神は、私たち一人一人の父ですから、私たちが家族の一員として1つになって集い、交わりを持つことを願っておられます。私たち人間は交わりの中で生き、養われ、成長し、活動するように創造された存在ですから、神の民となってからも、教会の交わりは大切です。 主イエス御自身は贖いの目的の一つに、私たちが「1つとなるように」と祈っています。1つとは、共に1つに集まること、1つの心で交わりを持つこと、1つとなって祈り賛美すること、1つとなって神の御心を行うことなどを意味します。そこに平和が宿り、神の愛がますます注がれるからです。 旧約聖書/詩篇にも「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」とあります。私たちの信仰は、教会の交わりの中で育ち、発揮できるのです。
・教会はキリストの体 また「教会はキリストのからだ」とあります。キリストは私たち一人一人の救い主として、毎日の生活を導いてくださいますが、同時に、信じる者たちの集まりの中で、さらに近く愛を注いでくださいます。私たちが教会の一員となって交わりを持つときに、それはキリストにしっかりと結びつくことを意味するのです。体には血と栄養が流れてくるように、教会の交わりの中で、キリストの愛と生命が、私たちにも流れ来るのです。 またそれぞれが救いと共に、神から賜物を受けています。様々な能力や志のことです。それらは第1に教会の中で発揮されるべきです。その賜物を通して、教会の人々を助け、益になることをなし、また自分も他の人々によって支えられるのです。 教会の頭は、イエス・キリストです。牧師でも、役員でも、他の誰かでもありません。教会では、キリストの意志が第1に重んじられます。つまり教会は聖書に基づいて、一切のことを決めていくのです。私たちの教会でも、信仰告白がありますが、その第1は、聖書を信じて、聖書に従うということを告白しています。
・礼拝 私たちが教会に集うというとき、第1に意味することは、礼拝に集うということです。礼拝は神と出会い、神の恵みと愛を受け、私たちも神に対する信仰を告白して、賛美と祈りをなし、献身をなす場です。神の恵みと愛は、御言葉と御言葉をとおして注がれる神の霊によります。また祈りと賛美も、私たちの内に働く神の霊が導く応答です。つまり礼拝は、神の霊が一切を支配し、導く場なのです。この恵みの霊に浸ることが大切です。 また礼拝では、キリストと十字架の御業を再体験します。私たちが1つ心で礼拝を守るときに、神の御霊は、私たちを2000年前のガリラヤに導き、あらためてキリストとの密接な交わりに導き、また十字架と復活の場に招きます。私たち礼拝という、時間と空間の中で、キリストを身近に覚えることができるのです。 礼拝の中には、月に1回、聖餐式があります。牧師がパンとブドウ液の杯を皆に渡して、共にそれを食べ、、飲みます。その意味は、キリストの生命と贖いに預かるということです。これは普段の礼拝を実物教育という形で示す儀式です。私たちは確かに、霊において、キリストの肉を食べ、キリストの血を飲み、そして新しい神の民として生きるのです。 以上のことから、礼拝は教会の中心であるといって過言ではありません。私たちの教会では、この礼拝を中心にして、様々な集会や交わりを持っています。たとえば、主人会、女性会、青年会、祈り会、家庭集会、音楽会、母子クラスなどです。 どうぞ、お集いください。
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